岐阜の周産期診療:開拓の歴史

長良医療センター 周産期診療部長 川鰭市郎

 岐阜の周産期医療の特徴ってわかりますか?この岐阜県は周産期医療の光もあれば陰とも呼べる状態が混然一体となっているんです。国内でも珍しい恵まれた地域もあれば、もはや崩壊寸前とされる地域もまたあるんです。
 私が岐阜にやってきたのは昭和62年です。岐阜大学病院の病棟で分娩台帳をみたとき愕然としました。どれだけページをめくっても、正常分娩という記載しかなかったんです。もちろん当時は出生率も今とは比べものにならないくらい高く、周産期センターもNICUもなかった時代です。大学病院といえども、ローリスクの出産を扱うことは珍しいことではなかったんです。たとえそういう時代でも、ハイリスク妊娠や胎児異常は存在したはずですよね。どこで産まれてたんだろうという素朴な疑問が出てくるんです。
 やがて県立岐阜病院、今の岐阜県総合医療センターにNICUが開設されます。その結果早産未熟児が集中的に管理されるようになったんです。しかし小児外科は長良医療センターの前身、長良病院にしかありませんでした。もう分かりましたね。さまざまな問題を持つ赤ちゃんは、産まれる前に気づかれることなく1次施設で産まれていたんです。この事実に気づいたとき、私はこの地域に胎児診断や管理が重要であることをいやというほど思い知らされました。ここから岐阜の周産期医療が始まったんです。
 問題のある赤ちゃんはできるだけいい状態で産まれなければ助からないですよね。合併症のある妊婦さんは、その病気の専門医といっしょに診ていかなければ、無事出産することはできません。岐阜に本格的な周産期センターができるまでは、大学病院で自分がハイリスク妊娠の交通整理をしようと考えたんです。
 どんな妊婦さんでも受け入れます、と宣言しました。とはいえ、当時は超音波機器もまだまだ発展途上。胎児診断は簡単ではなかったですね。今では母体搬送があたりまえなんですが、状態が急変すると大学で帝王切開して新生児搬送することも珍しくありませんでした。長良病院では出産ができません。外科疾患は大学で出産して新生児搬送して、そのまま手術という流れだったんです。そんな中で臍帯血管に直接針を入れる胎児採血を行ってました。当時は全国でもまだ10施設くらいしか実施してませんでしたね。
 やがて、少しずつ1次施設の先生方からの信頼も得られるようになってきました。これが後に岐阜地域を国内でも有数の恵まれた地域に押し上げる力になるんです。1次施設の先生達との勉強会「チットチャット周産期研究会」は四半世紀以上を経た今も続いてますよ。やがて長良医療センターが診療を始めます。岐阜市を中心とした地域はローリスクは1次施設に、ハイリスクは周産期センターに、という図式が定着していったんです。東京などの大都市では、周産期センターにローリスク分娩が殺到してます。でも長良医療センターでは、ローリスク症例に対応する必要はなく、ハイリスク症例に集中して診療することができます。こんな恵まれた状況は大都市では考えられないんです。


 一方で飛騨地区や東濃地区は分娩施設の確保に汲々としてます。その原因は産科医不足なんです。今はさまざまなアイデアを提供して厳しい状況を乗り切ることができるように工夫してますが、その内容は別の項でくわしくお話ししますね。


 岐阜の周産期医療はNICUの開設から、県内の産婦人科医の協力のもとにここまで進んできました。長良医療センター産科は国内でも有数の胎児診断治療技術を惜しみなく発揮してます。しかもこの先進技術は地域の1次施設との協力のもとに成り立っているんです。これこそがよそにはない岐阜の周産期医療の魅力なんです。

夢プロジェクト「ぎふの産婦人科医の魅力」岐阜県、産婦人科医、医学生向けイメージ01
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