西濃地域 大垣市民病院より、産科学のすすめ

大垣市民病院産婦人科 伊藤充彰

                                   

 産婦人科には周産期医学、婦人科腫瘍学、不妊生殖医学、女性医学の4つの大きな柱があります。私はその中でも周産期医学に一番力を入れて診療を行っています。

 周産期医学の分野では、出生前診断および治療が大きな魅力のひとつではありますが、私個人としては双胎分娩・鉗子分娩・骨盤位分娩といった産科特有の手術の手技を身につけることも周産期医療の魅力ではないだろうか、と思っています。

 20年前に産婦人科を志した際に当時の師匠から繰り返しいわれたことがあります。それが「双胎分娩・鉗子分娩・骨盤位分娩を安全・確実に実施できてこそ、一人前の産科医である。吸引分娩・クリステルそして帝王切開であれば助産師と外科医がいれば産科医は必要ない。」です。帝王切開は少しトレーニングすれば外科医の方が上手に行えりことでしょう。あるいは助産師法でも吸引分娩・クリステルは緊急時の対応として合法と記載されています。英語では吸引分娩はvacuum extractionであり鉗子分娩はforceps operationといわれる。吸引分娩は緊急時にはあくまでも助産師にも許される娩出術の一つであり、鉗子分娩は医師(ほとんどの場合産科医)のみが行える手術なのです。私は師匠の教えにもうひとつ内回転術も含まれると思っています。鉗子分娩・内回転術・骨盤位分娩に習熟していてはじめて安全・確実な双胎分娩の管理ができるからです。

 双胎分娩・鉗子分娩・骨盤位分娩・内回転術、いずれも廃れゆく技術といわれはじめてから何年も経過していますが、私自身は4つともそれなりに習熟しています。昨今の産科医は4つともはおろかその中の1つも経験がないものも増えているようです。

 今でこそ骨盤位や双胎妊娠の経膣分娩は少なくなり、その多くが帝王切開で分娩されています。しかし、私が産婦人科医になった頃は、骨盤位や双胎妊娠でも経膣分娩が当たり前でした。当直の夜に分娩で呼ばれていってみると、助産師さんから「骨盤位です」とか「双胎です」と普通に言われました。この骨盤位分娩・双胎分娩では数々の印象に残る経験してきました。そのいくつかを紹介したいと思います。

(症例1)

 私も若かりし頃は骨盤位分娩のトレーニングも積みたかったし、積極的に分娩に立ち会わせていただきました。赤ちゃんの心拍異常がでてドキッとしたり、赤ちゃんの頭が出しにくくてドキッとしたり、と緊迫した場面は多く経験しました。そんな中、骨盤位経膣分娩でベテラン医師でも肝を冷やす、緊迫した瞬間が、赤ちゃんが腕をバンザイし、その腕が頸の後ろに回ってしまっている状況です。nuchal armと呼ばれ赤ちゃんの頭と腕の娩出困難になる王様です。このままでは決して経膣分娩はできません。赤ちゃんの頭と腕が同時に骨盤を通過することは不可能だからです。この状態の解決にはかなりの上級技術が要求されます。ちなみに赤ちゃんが腕をバンザイしていても、その腕が頸の後ろに回っていなければ、つまり腕が顔の前にあれば娩出は比較的容易です。

 前置きの説明はこのくらいにして、この骨盤位分娩での症例経験です。とある経産婦さんが骨盤位のため帝王切開予定でしたが、帝王切開前に陣痛が発来し、急速に分娩が進行してしまいました。すでにおしりがみえており、帝王切開は間に合いません。やむなく経膣分娩の方針としました。おしり・足が娩出した後、待っても肩と腕が出てきません。赤ちゃんの心拍は弱ってきます。そこで、型のごとく右腕から上肢の解出を行おうとしましたが、顔の前に腕はありません。nuchal armだったのです。では反対の左側からと思って探ってもやはり顔の前に腕はありません。何とこちら側もnuchal armだったのです。nuchal armは比較的珍しく、かつ片腕だけでもかなりの苦戦を強いられるのに、どうして両腕ともなんだという思いでした。

 気持ちはあせります。しかし、あせって引っ張ればより娩出困難になるし、無理して腕を引っ張れば骨折します。そこで、気持ちを落ち着かせるため目を閉じて一息入れて、赤ちゃんを骨盤の中に押し戻してスペースを作りながら、まず右腕をそして左腕を解出しました。その後は型のごとく赤ちゃんの頭を出しました。産まれた瞬間はぐったりしていましたが、すぐに泣いていて仮死はありませんでした。とてつもなく長い時間に感じましたが、この間ほんの1~2分でした。この赤ちゃん、その後は何の問題もなく元気です。「nuchal armでは、引っ張るのではなくむしろ押し戻すことで、スペースができ活路が見いだせる」これは、とある先人が骨盤位分娩のコツとして書に残していたのを以前にふと目にしたことがあったため実践したもので、このため死産や仮死分娩を免れることができました。

(症例2)

 双胎経腟分娩での緊急事態はほとんどの場合、第1児娩出後の第2児におこります。胎位異常(分娩経過中に骨盤位や横位にかわること)、臍帯下垂・臍帯脱出、第2児の胎児ジストレスなどです。第1児娩出後に第2児の胎位がかわることも珍しくありません。こういった場合には帝王切開への変更はもとより、鉗子・吸引娩出術あるいは骨盤位娩出術、そして時には内回転術が必要になります。

 私は若かりし頃から当直などの巡り合わせもあって、双胎分娩に数多く立ち会って来ました。その中では、もちろん2児ともにスムースに分娩となったケースが最も多いのですが、赤ちゃんの心拍異常が回復せずドキッとしたり、臍帯脱出がおこってドキッとしたり、と緊迫した場面は多く経験しました。

 前置きの説明はこのくらいにして、双胎経膣分娩での症例経験です。経産婦さんで頭位-頭位の双胎分娩でした。双胎経膣分娩の中では最も安心して対応できるはずの症例でした。妊娠37週に陣痛発来し入院されました。私が当直の日曜日のことでした。分娩は順調に進み第1児は自然分娩になりました。第1児娩出後、内診と超音波で第2児の胎位を確認したところ横位でした。しかも手と肩が先進して下がってきています。やむを得ないので帝王切開に切り替えようと準備を始め、応援の医師にも連絡しました。

 しかし、陣痛が強くなってきて、それに併せて胎児心拍が悪化し、まもなく遷延徐脈となって胎児心拍が全く回復しなくなりました。超音波で確認するとまもなく心臓が止まりそうなくらいの徐脈です。第2児を救命しようと思ったら、今からの帝王切開では絶対に間に合いません。しかし、手と肩が先進した横位はこのままでは経膣分娩は絶対に不可能です。最大のピンチです。気持ちだけがあせります。そこで、気持ちを落ち着かせるため目を閉じて一息入れて考えました。「人工破膜して内回転して児を経膣分娩させるしかない」という結論に達しました。この内回転ですが、頭位あるいは横位の赤ちゃんを子宮の中で赤ちゃんの足を引っ張って回転させ、骨盤位にして経膣分娩させる産科手技です。これ以外に勝算がある方法は思いつきません。

 迷いましたが、このまま待っても胎児死亡です。帝王切開では間に合いません。ただ、何もせず手も足も出ない状態で待つことは性に合わないので「人工破膜して内回転して児を経膣分娩」にかけてみることにしました。

 直ちに人工破膜(破水させること)をして、子宮内に手を入れ胎児の足を探りました。片手で胎児の足をつかみ、もう片手で胎児の背中を回転させました。何とか骨盤位にすることに成功し第一段階は突破です。あとは骨盤位分娩だけです。

 赤ちゃんのお尻と足そしてお腹がスムースに娩出し、右の手がみえてきました。しかし、左の手がみえてきません。内診するとバンザイしています。しかも、先の骨盤位分娩でもでてきたnuchal armです。赤ちゃんを骨盤の中に押し戻してスペースを作りながら左腕を解出しました。その後は型のごとく赤ちゃんの頭を出しました。とてつもなく長い時間に感じましたが、この間ほんの2~3分でした。この赤ちゃん産まれた瞬間はぐったりしていて軽度の仮死がありしたが、小児科医の蘇生処置ですぐに回復しました。今では何の問題もなく元気です。


 上記の症例からもわかるように、双胎分娩・鉗子分娩・骨盤位分娩・内回転術を身につけ確実に実施できることで重症仮死分娩や死産を防ぐことができるのです。骨盤位や双胎は予定帝王切開で良いのではないかという考えもあります。それでも悪くないと思います。しかし、それでは現実的には周産期医学の魅力の一つが失われてしまうことでしょう。安全・確実に行われた経膣分娩では帝王切開では得られない妊婦さんや家族の笑顔と満足感がみられます。また、予定帝王切開と決めていても思いがけず分娩が進行し帝王切開が間に合わないケースに備えて、双胎分娩・鉗子分娩・骨盤位分娩・内回転術といった産科手術の手技を身につけておくことは少なくとも悪くないことでしょう。健康に生まれてくるはずの赤ちゃんを、文字通り健康に生ませてあげられるための産科手術への習熟は産婦人科医のトレーニングとして必須です。

 私自身は、内回転術こそ帝王切開以外で行うことは数年に1例ですが、鉗子分娩年間25〜30例、双胎分娩年間10例程度、骨盤位分娩年間数例を行い、今なお技術のブラッシュアップにつとめています。しかし、私たち世代が引退する頃には双胎分娩・鉗子分娩・骨盤位分娩・内回転術は本当に過去の遺産となってしまう可能性があります。本当に寂しい限りです。こうした産科手術を経験したいあるいは伝承して欲しいと希望する若手産婦人科医には是非とも当院で研修していただきたいと願っています。

夢プロジェクト「ぎふの産婦人科医の魅力」岐阜県、産婦人科医、医学生向けイメージ01
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