親が医師というわけでもなく、“女性が医学部に行くと大変らしいから(まあ、それは今でも変わっていないと思いますが)、やめたら。”と言われたりもしましたが、不思議と迷いはなく受験。面接の時には精神科医になりたいと言ったのを覚えていますが、周産期に興味を持ち、産婦人科を選びました。
研修医時代を終え、人生で最も忙しかった時期----子育てと周産期医療中心---の数年がありました。やりたいことをやっている時というのは、からだはしんどくても心は元気。ただ、突き進むだけでした。
2人目を出産し、24時間臨戦態勢という勤務は難しくなり、産科から婦人科診療中心の生活へ徐々に移行します。
学問的に言えば、腫瘍・生殖内分泌。手術は好きでしたが、投薬を続け管理する内科的分野は自分に合わないもののように思え、治らないことへの怒りを向けられることに自分も怒り、仕事への情熱を失いかけました。
思う存分働けないということは、肩身も狭く不本意でしたが、子育てという人間修養が私には必要だったようで、いろいろなことを教えられました。今はそれが、自分の人間としての軸になり、医師としてこれからやっていきたいことに繋がっています。
現代の西洋医学で治せない疾患が数多くあります。思春期、更年期、老年期・・すべての年代で“仕方がない”と言ってしまっている症状があります。不定愁訴と呼ばれる症状を聞きながら、家庭内の複雑な問題まで医療では解決不可能と思うこともありますが、一つ言えることは、母親が元気だとその家は明るいということです。
産婦人科は“ゆりかごから墓場まで”とよく言われますが、現在・未来の母を診る科です。目の前の女性の病的状態が現在・将来のその家族に影響を与えます。
病気になってしまってから治す、患者さん自身が治るのを助けるのはもちろん医師の仕事ですが。病気になる前に、一生を通したからだの健康を女性が考えるということ、それを教え広めていくことも我々の重要な仕事だと思い、実践していきたいと考えています。
産婦人科医という仕事は大変だとかとやかく言われますが、興味があるなら少々反対されても飛び込んでください。忙しい故にいろいろあった私もこの道に進んで後悔したことはありません。