この度「産婦人科手術の醍醐味 ここが面白い」というタイトルの原稿を依頼されたのでありますが、色々迷った末“野田克己教授定年退官記念業績集”のなかの「野田教室の思い出」よりの抜粋が良いのではないかと思い、これに加え広汎性子宮全摘術の歴史を紹介し、この責務を果たしたいと思います。
昭和50年、第27回日本産科婦人科学会（京都）にて野田教授が子宮頚癌治療上の問題点－外科治療上の問題点－と題する教育講演をせられ、これを機に教室の研究も勢いづいて行った様に思われます。即ち野田教授の指導により、早崎先生が産婦人科感染症の研究を開始され、その後も着実に実績を重ねられ産婦人科でのトップクラスに迄なられました。私の方も癌免疫に関する研究の第一歩、婦人科領域における担癌生体の免疫能 第1報を、第56回東海産婦人科学会（昭和50年3月）にて発表し、この道に夢中になって突き進んで行ったのであります。そして御存じの様に診療、教育面の充実は言う迄もなく、癌免疫、感染症並びに病理等の各研究グループが競い合い助け合ってその成果を挙げ得たのは野田教授の優れた指導力、学問に対する真摯な姿、患者さんに対するヒューマニティーに負う所大であります。
この間、野田教授より幾度となくご指導いただきましたが、就中印象に残っているのは「手術は、ゆっくりやれば早く終わるよ」であります。即ち開腹時、癒着等でオリエンテーション不明の症例に、闇雲に手をつけるとか、カルチオペの出血の際、慌てて止血を試み更に大出血をさせ悪循環に陥っていく場合等に対する適切なるアドバイスであり、私が病棟医長の任にあった時は、肝に銘じてこれを心掛けたものでした。
1911年Wertheimは子宮頚癌500例に手術を施行し、これに科学的な分析を加え、子宮を広範囲に全摘出する新しい術式、Wertheim術式を発表しました。
我が国では1914年京都帝国大学の高山はWertheim術式に改良を加えた高山術式を発表し、その門下生の岡林はさらに高山術式を改良し、根治性を徹底させ、合理性の高い術式を確立し、岡林術式として1921年に発表しました。
当時、岡林術式の中で多くの問題を起こしたのが基靭帯の処理でありました。これは膀胱側腔と直腸側腔を開放して結合組織をできるだけ切断して基靭帯を血管群だけにする努力を行いこれを挟鉗・切断・結紮するものであります。しかし、この基靭帯の処理において大量の出血を見ることもしばしばあり、それなりの出血を覚悟して手術に臨んだ面もありました。私の入局当時の岐阜大学におきましても術後の出血にも備え、カルチ当直と称して手術当日主治医は病院に宿泊していました。
このような手術術式が安全なものになったのは、骨盤内のリンパ節の郭清を先行させ、十分な視野を確保してから基靭帯の処理を行うようになってからのことです。即ち骨盤深部の基靭帯の処理を行う時にその周囲にある余分な組織を取り除いた状態で行うことができるようになり、より手術手技が安全なものとなりました。最近では基靭帯の血管を一本ずつ結紮・切断する方法も普及してきています。
この様に先人達の御努力により広汎手術がより安全に確実に施行できるようになったと思います。尚、野田教授の師匠である夏目 操名誉教授は昭和49年に著書「子宮頚癌の系統的根治手術―1200例の手術経験から修得したもの―」を発表され私も熟読しました。
私自身、子宮頚癌手術における大量出血を今でも忘れることができないケースがあります。ひとつ目は県立下呂温泉病院赴任中の広汎手術後大出血の再開腹のことであります。骨盤底まで血腫を少しづつ除去し、出血部位すなわち一直線に血液を吹き上げる細動脈を見つけた時は出血源はこれだと思い慎重に結紮、その難を逃れました。ふたつ目は岐阜県総合医療センター（旧県立岐阜病院）での広汎手術の基靭帯処理の際、瞬時の2000mlの大出血のため麻酔科医が「先生、血圧が測れません」と叫んだケースであります。直ちにガーゼで圧迫し血液が届くまでそのままの態勢で押さえ続け、この後慎重に出血部位を確認、止血し得たのは昨日のように思い出します。
最後になりましたが「手術は、ゆっくりやれば早く終わるよ」のあの“教え”に感謝し、稿を終えたいと思います。